仙夜一夜物語

第3回「なぜ農業?」

周囲の猛烈な反対があったにも関わらず、なぜ牧野仙一はこの道を選んだか。聞けば「不安はあったが、何も怖くはなかった。『絶対にできる』という確信があった」という。その自信と勝算は、一体どこからくるのだろうか?

 当時日本の米業界は、強烈な国の統制下にあった。「自由経済国の中の共産圏」というのが仙一の口癖だったが、正にその通りだった。
 米の流通は、食管法(昭和一七年、戦時体制下に制定)によって、政府への売渡義務、集荷、販売業者の指定等々、許可制を基本とする、厳格な流通ルートが形成されていた。生産者が直接消費者に米を販売することなど、許されなかったのである。各県にはそれぞれ農協中央会があり、米はここを介して消費者の手に渡った。国に管理されていれば、競争とは無縁でいられたのである。逆に言えば、どんなに工夫して良いものを作っても、認めてもらえない世界でもあった。
 仙一は、そこに目をつけた。農業にビジネスモデルを見出せないかと考えたのだ。言われるがまま「米を生産するだけ」という農家の枠を飛び越え生産から販売までを一貫して手掛ける、農業法人を目指そうと考えた。「必ずやれる」、その根源には、二つがあった。

 まず、米は日本人の主食、他の食品とは異なり、毎月、毎年、着実に一定の消費量が見込めるということ。それはつまり、結果を数値として積み重ねることができることを表わしている。着実に契約数を増やすことさえできれば、ビジネスとして成立する。
 そして、外食産業との直接取引である。今で言うB2B(企業間取引)、農家と外食企業という組合せは、当時まだ例がなかった。ここに一つの光明を見出していた。以前の仕事柄、この方面にはある程度精通している。それまできびしい業界で確実に実績を残してきたという営業力と経験、そして何より、「安全で安心出来る本物をつくっていれば、必ずお客様が支持してくれるはずだ」という気持ちが、恐れを取り払った。

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