仙夜一夜物語

第40回「残留農薬検査へのこだわり(1)」

 今でこそ、「残留農薬」という言葉は一般的に認知されているが、仙一がマイセンを立ち上げた当初は、あまり一般的な言葉ではなかった。
 日本の農薬規制は、諸外国に比べるとずいぶん遅れていて、1970年代になってようやく、消費者保護の観点から見直されるようになったが、それまではどちらかといえば生産者寄りの考え方に基づいていたものだった。
 もちろん、「有機栽培」という基準もない。「無農薬米」「有機栽培米」「減農薬米」...生産者がめいめいに好きな名前を付けていたから、様々な言葉が氾濫して、消費者には非常にわかりにくかったが、なるべく売れるような表示にしたいという気持ちも、ビジネスとしては理解できなくはなかった。
 そもそも、仙一がマイセンを立ち上げた目的は、有機栽培をしたいからではない。人間らしい生き方をしたい、その手段として、たまたま家業であった農業を選んだのだ。
 仙一が父親から受け継いだ田んぼでは、元々農薬を使うことがほとんどなかったが、理由は単純で、二人とも農薬にかぶれる体質だったからである。仙一は特に肌が弱く、農薬どころか化学肥料もダメだった。
 仙一にとって、農薬を使わないことはごく普通のことだったが、ある日、自分の田んぼと小さな畦ひとつを隔てたよその田んぼとでは、風景が全く異なることに気づいた。自分の田んぼには、タニシやドジョウがうじゃうじゃいるし、鳥たちもうるさいくらいに飛び回っているのに、他の田んぼには全く生き物がいない。子供の頃からタニシをとって遊んでいた仙一には衝撃的な光景だった。
 それからである。「地球を汚さない農業をしたい」と思い始めたのは。この大地は、未来のこどもたちから預かっているもので、自分たちが好き勝手にしていいものではない。汚さないようにするのは当たり前で、むしろ、より豊かにして渡すべきものなのだ。「おじいちゃんたちのせいで、農薬まみれの土地になった」などとは言われたくなかった。
 また、ビジネスをやっていく上で、自分の商品を、自分で自信を持ってお客様に届けたかった。「有機栽培」などと声高に言うつもりはなかったが、生き物のいない他の田んぼで作ったお米と、生き物でいっぱいの自分の田んぼで作ったお米、どこかで線引きをしたかった。その時に思いついたのが「残留農薬検査」である。

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