仙夜一夜物語

第34回「平成6年の大干ばつ(1)」

 マイセンを立ち上げて3年目を迎えた平成6年。
 前年は、冷害による大凶作で散々な目にあった。自然の恐ろしさを身にしみて感じたが、同時に土作りの大切さ、稲の生命力など、自然の偉大さも学んだ。大凶作でも負けない稲作りが出来るはずだと、新たな研究にも取り組み始めた。
 大凶作のおかげで農業人として大きく成長できた、これからどんなことでも頑張れるぞ! と意気込み新たに臨んだ平成6年だったが、またしても、自然は思い通りにはいかないということを実感させられる年となった。
 6月頃になると田んぼではガス(硫化水素)が沸き始めるため、それを防ぐために田んぼの水を抜く「田干し」という作業を行う。田干しを行うことで、稲の根を傷めるのではないかと疑問を持っていた仙一は、前年はこれをしなかった。ところがこれが裏目に出てしまった。
 田干しをしなかったことと長雨が続いたせいで、田んぼが泥沼状態になってしまい機械を入れることができなかったのだ。普通は夏から秋にかけて田んぼは乾いていき、稲刈りしやすくなるものだが、この年はいつまでも乾かなかった。そのせいで、手で稲刈りをする羽目になった。
 「田干しは絶対せなあかん」と、父が何度も言っていた理由がようやく実感できた。稲を傷めるかもしれないという考えは変わらなかったが、機械が入れなくなるほどの田んぼでは、会社として大規模に生産することなどおぼつかない。田干しのデメリットについては、他の方法で対策を考えることとして、とりあえず今年は田干しをすることにした。
 6月の終わりごろ、ガスわきと同時に田干しをして、田が乾き固く締まるのを待った。ところが、いつまでたっても雨が降らない。
 この年、梅雨入りは平年並みだったものの、6月は空梅雨でほとんど雨が降らないまま7月になり、7月も雨が降りそうな曇天にはなるものの、一向に雨が降らない。そのうちに梅雨が明けてしまった。
 最初の頃は川や用水に水が流れていたので、豊富な量とはいえないものの、なんとか水は入ってきていたが、そのうちに川に水が流れてこなくなった。水がないと作物は育たない。激しい水の奪い合いが始まったのだ。

バックナンバー