仙夜一夜物語

第22回「仙一、オーストラリアへ行く(4・完)」

 視察団一行は、リートンに約一週間ほど滞在した。近くのホテルに泊まり、その周辺を見学した。農業試験場へ行って、実際に生育状況の管理の様子を見せてもらったりもしたし、日本企業の牧場なども見に行った。
 とにかく日本とは規模が違う。圧倒されることばかりだった。
 ホテルの自室で、オーストラリアの米を炊き比べをしてみた。まあまあ美味しいものがあって、味は悪くなかった。お米の質では十分勝負になりそうだ。
 物価も安く、魚介類なども豊富。日本人の口に合う食べ物も多いし、とても住みやすいところだ。土地が広く、日本と違って隣の田んぼや畑とは十分に距離がとれるので、有機栽培はしやすい。ただし、こちらでは、「安全なものを作る」というよりも、「なるべく低コストで作る」という考えが主で、お金のかかる農薬や肥料を使わない結果、「有機」になるのだった。少ない水資源をより有効に活用するために、「安全性」ももちろんだが、それ以上に「効率を図る」という考え方が徹底されていた。
 そんなリートンの米、ひいてはオーストラリアの米を一手に管理しているのは、「ライス・グロワーズ社」という、日本の農協のような組織だった。リートンの700戸余りの農家が出資して作った生産者組合で、精米加工、販売はもちろん、マーケティングに基づく種子提供、商品開発なども行い、世界50カ国にわたる輸出も全て担当。この組織が、実質的にオーストラリア米の生産・流通の全てを握っていた。
 田んぼをやる以上、この組織と必ず関わらなければいけない。個人が自由にモノを作ったり、それを輸出したりということは許されそうになかった。元々、仙一がオーストラリアに行ってみようと思ったのは、がんじがらめの日本の農業に嫌気がさしたからだった。「こっちでもライス・グロワーズに管理されるんなら、あんまり日本と変わらんな...」正直、そんな気がした。
 それに、「冬はオーストラリアで米を作り、新米を真冬に日本に持ち込めたら年に2回も新米を出せるぞ!」なんて夢を漠然と抱いていたが、これもどうやら、実現するにはとても高いハードルを越える必要があった。日本人が日本の米をオーストラリアで作っても、それはもう日本の米ではなくなってしまうし、そもそも個人で輸出をするには、恐ろしく多くの障害があった。かけだしの、資本力もない個人農家が簡単にできることではなかったのだ。
 「そんなに甘くないな。どこでも苦労するのは一緒か」。
 結局はそんな結論に達した。
 そうして2週間のオーストラリア視察を終えて、一行は日本に戻った。
 夢は夢のままで終わったが、得るものの多いオーストラリア視察でもあった。

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