両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、人生を力強く生き抜き、ヘレンケラーにも称賛された中村久子女史の次女・富子さんのお話をお届けします。
母の72年の生涯というのは、辛いことのほうが多かったと思うんですよね。でも母はそれを語らずに、自分を取り巻いてくださったいい方がいろいろなことを教えてくださったと、人のご縁の大切さ、一期一会をすごく大事にしましたね。
だから母のいただいたご縁というものを一つひとつ振り返ってみると、本当にその一つひとつの出会いから、母はすごいものを与えていただいてきたんですよね。
だからそれだけ母は幸せだったと思います。その中にはクリスチャンの人もいる、いろいろな宗教の方もいるけど、そういうものを全部含めて、一つのものになっているような気がするんですね。
母が子どもの時、一所懸命口で縫ったお人形の着物をお友達にあげたら、その子のお母さんに
「こんな唾で濡れた着物なんか汚くて」
って川へ捨てられて、ものすごくショックを受けたという話があるんです。
母は私に言ったんですが、あの時は、悔しいよりも、捨てられたことよりも、そんなものしか縫えない自分が情けなかった。
それからまた一所懸命に練習をして、濡れないように縫えるようになるまで13年半かかったって言うんですよ。
私はその話を初めて叔母から聞いた時、
母に「13年半もかかったの?」って言ったら、
母が「そうよ、富子。 濡れなくなるまでに、13年半かかっちゃった。フフッ」
って笑ったんですよ。
その時に母は私に言ったんです。人間ていうものは、悲しいもんですって。その人の一言がなければ、母さんはいまだに濡れたまんまのお裁縫をしていたかもしれない。
「濡れて汚い」と言われたので、なんとかして濡れないように縫いたいと思って、縫えるようになったんだから、感謝しなければいけないのに、なかなかその感謝ができない。
言われたことを、自分は決して忘れられない。人間って悲しいものねって。その人とはその後も何度も会って、向こうは自分の言ったことは完全に忘れていて、
「富子ちゃんが大きくなりましたね。よかったですね、久さんは」
なんて言ってくれる。でも自分の胸の内では、グーッと込み上げる悲しさがあるんですって。
そして私に言いましたよ。
「富子は言葉が悪いから、人に言葉を掛ける時は 気をつけなさいね」って。あなたが何気なく言ったことが、相手を傷つけて一生心に残ることもあるからって。
『致知』2003年1月号
「四肢切断 中村久子の生涯が教えるもの」より