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    <title>仙夜一夜物語</title>
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    <title>農法の研究(3・完)</title>
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    <published>2012-01-23T10:32:11Z</published>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.maisen.co.jp/monogatari/">
        <![CDATA[<p>　「うらら農法研究会」の構成員は仙一を入れて6名。農閑期になると、農業の先進地区、大学の研究所...とにかく、勉強になりそうなところがあれば、日本全国出かけて行って、自分たちの農業に、どんどん採り入れた。<br />
　京都大学の先生からは、土壌作りに役立ちそうな光合成細菌のことを学び、農業機械の先進県・秋田では、大型機械を導入した農法について学んだ。<br />
その他にも新潟での微生物農法、兵庫の肥料工場...これだ、と感じたものは労をいとわず出かけて行って勉強し、共同で資材を購入したり、農法のテストをしたりと積極的に取り組んでいった。<br />
　勉強した理論に基づいて、肥料の代わりに、とある有名なアミノ酸化学調味料を大量に撒いたこともあった。購入先にも、周りの農家からも相当に変な目で見られたものの、目を見張る成果があがった。ただ、高コストすぎたため、この経験を元にオリジナルの肥料を開発した。この肥料は現在でもマイセンで使用している。<br />
　ここで目指していたのは、「自分たちの農法」だった。<br />
　何のために農業をやっているのか？　自分たちが食べるためだけでなく、なぜ商売としてやっているのか？　どういうものを、どうやって作れば、お客様に喜んでもらえる「商品」になるのか？　安全、効率、美味しさ...何が大切なのか？<br />
　学ぶべきテーマはいくらでもあった。<br />
　学んできたことを、夜を徹して議論しあい、時にはケンカになることもあったが、それを通じて見えてくるものが確かにあった。<br />
　当時、ようやく「有機」という言葉が登場した頃で、基準もはっきりしなかった。しかも、安全性を確保するための「有機」ではなく、商品価値を高めるために「有機」とされることすらあった。例えば、田んぼの一部だけを有機農法にして、それで「ウチは有機農業だ」と謳う例もみられた。<br />
　そんないい加減な「有機」ではなく、本当に安心して食べることができる安全なものを作りたいが、食べ物なんだから美味しくなければならない、美味しくてかつ安全なものを作るにはどうすればいいか？　これが、うらら農法研究会の考え方のベースになった。<br />
　こうやって、今のマイセン農法の基礎ができた。大地を汚さないこと、豊かな自然の恵みをそのまま子孫に伝えられるような農業をしたい。仙一がたどりつき、またこれからも目指していくものは、そんな農業である。</p>

<div style="text-align: right;">（農法の研究 - 完）</div>]]>
        
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    <title>農法の研究（２）</title>
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    <published>2011-12-01T06:09:55Z</published>
    <updated>2011-12-02T06:10:31Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　仙一が目指した農業は、「農業聖典」のハワード卿や、「自然農法」の福岡正信氏の農法だった。どちらも、簡潔にいえば、「自然に逆らわない」。<br />
　野山の木々や草たちは、誰も世話をしなくても立派に根付いて、たくましく育っているではないか。肥料もやらないし、農薬を撒くこともない。虫や雑草と共存しながら、あんなに立派に育っている。稲や畑の作物たちだって同じではないか？ 植物を育てるのは、太陽や土や水などの偉大な自然で、人間は、ただ、そのお手伝いをさせてもらうだけではないのか？<br />
　ハワード卿は、インドで有機農業の手法を研究し、それが現在の有機栽培の原点となった。自然を「最高の農業者」と敬い、他の科学者たちが化学薬品で退治しようと躍起になっていた害虫や雑草は、彼に言わせれば「農業の教授たち」だった。まさに、仙一の目指した農業の姿がそこにあったが、その通りに日本で行うことはできなかった。例えば、ハワード卿が19世紀のインドで使った肥料は、当時の畜農法で育てられた家畜たちの糞だったが、今の日本では、そんな畜産をやっている農家はほとんどなく、まず手に入らない。<br />
　どうやれば、この日本で、先祖伝来の自分たちの土地で、行うことができるだろうか？<br />
　まずは、彼らの考え方を学んだ。とは言え、農業に関してはかけだしの素人だ。必然的に、人や書物に教えを請うことになるが、当時、有機農法の専門書はほどんどなかった。そこで、篤農家や研究者のところへ訪ねていって、話を聞かせてもらった。<br />
　最初は、ああでもない、こうでもないと、一人で勉強をしていたのが、そのうち周りの農家も興味を示すようになり、まだ農業を始めたばかりの仙一に、「教えてくれ！」と言う人まで出てきた。<br />
「どうせなら、一緒に勉強しよう！」農業を取り巻く状況は、決して楽観できるものではなかったが、意欲を持って農業に取り組もうとする仲間が増えるのは嬉しかった。<br />
　そこで、「うらら農法研究会」を作った。「うらら」とは、福井の方言で「私たち」のことである。メンバーは仙一以外に５人、みんな勉強熱心で、農業を愛している若者ばかりだった。<br />
</p>]]>
        
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    <title>農法の研究（１）</title>
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    <published>2011-11-01T06:10:59Z</published>
    <updated>2011-12-02T06:11:14Z</updated>

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        <![CDATA[<p><br />
　それまでの商社マンから一転して農業の世界へ飛び込んだ仙一の、一番の指導者は父だった。たまたま、二人とも、農薬や化学肥料にかぶれて肌が荒れる体質だったため、自然と、それらのものを使わない農業をすることになった。いわゆる「有機農法」に近いものだが、20年前の当時は、「有機」という言葉自体が珍しい時代だった。<br />
　参考文献などもあまりなかったので、父の指導は大いに参考にはなったが、親子という甘えもあり、なかなか素直に父の言葉に従えず、対立も多かった。元々凝り性なので、とことん追求してみないと気がすまないし、人の意見も、まずは自分で調べて確かめてみて、納得してからでないと、素直に受け入れられなかった。<br />
　「近代有機農業の父」と言われるイギリスのアルバート・ハワード卿が著した「農業聖典」。ハワード卿が教えを仰いだ師は自然であり、彼が農業に取り組んだ地（インド）の農民であり、人々が「害虫」や「雑草」と呼ぶ動植物だった。ハワードは、自然を「最高の農業者」と敬い、他の科学者たちが化学薬品で退治しようと躍起になっていた害虫や雑草を「農業の教授たち」と呼んでいた。<br />
　これが農業の理想の姿だ！と仙一は思った。人が作物を作るのではない、偉大な自然が育て、人はそれをお手伝いするだけなのだという、その理念に感銘を受け、以後「農業聖典」は、仙一のバイブルとなった。<br />
　また、日本だけでなく海外でも大きな功績を残した福岡正信氏の「自然農法」の考え方も、大いに参考にさせていただいた。<br />
　これも、簡潔にいえば「自然に逆らわない」農法である。野山に根付いている木々は、耕したり肥料をやったり除草をしなくても、立派に育っている。米にだって同じ考え方を応用できるはずだ。<br />
　ただ、この二人の理念は、そのまま実現はできなかった。ハワード卿が農業を行ったのは、20世紀初頭のインドであり、同じような環境を現代日本で実現させることは不可能だった。たとえば、ハワード卿が肥料として使った家畜の糞は、エサなどに化学物質を混ぜられていない、19世紀の畜産法で育てられた家畜のものだったが、同じような方法で畜産を行っている農家は近くにはなかった。<br />
　この素晴らしい理論をそのまま使うことはできない。自分で、今の自分の環境に合った方法を考えなければ...。</p>]]>
        
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    <title>「いのち」をつなぐ～自然乾燥への挑戦（３・完）</title>
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    <published>2011-09-08T05:40:24Z</published>
    <updated>2011-09-30T07:59:50Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　大学の研究施設や、機械メーカーなどを廻っていると、頭ごなしに「そんなのは無理だ」と否定をされてしまうこともあったが、中には面白がって話を聞いてくれたり、様々なアイディアを提供してくれる人もいた。その中の一人、あるメーカーの担当者が、「太陽熱乾燥システム」を研究している大学の先生を紹介してくれた。<br />
　早速、話を聞きに行った。太陽光をとりいれたハウスで、空気を循環させることによって乾燥させる仕組みで、設備もさほど複雑ではなく、ランニングコストもほとんどかからない。聞けば聞くほどよい話だったが、一点、問題があるという。<br />
　「北陸ですよね？　湿度が高い地域だと難しいかもしれません」<br />
　乾燥とは、すなわちお米の水分含有量を減らすことなので、外気の水分が高いと、お米の水分も高くなってしまい、うまく乾燥できないというのだ。<br />
　仙一は、過去１０年分の湿度を調べた。他の地域とも比較をし、気象台にも問い合わせをした。１００％大丈夫とは言い切れなかったが、なんとか先生のゴーサインが出た。さらに、研究の試作機として、設備を公開することで、費用もグンと抑えることができた。<br />
　実際にお米を乾燥させてみると、仕上がりは上々だった。確かに、一般の火力乾燥を行うよりは、数倍の時間がかかったし、広い場所も必要だった。しかし、燃料も不要、メンテナンスにもさほど費用がかからない。そして何よりも、仕上がったお米がちゃんと生きていた。乾燥させた玄米を試しに水に浸してみると、数日後には芽が出た。<br />
　「これなら、ずっと続けていけそうだ」<br />
　お米を作る。いのちを保ったまま、お届けする。<br />
　仙一が目標にしてきたことが、ようやく実現できそうだった。<br />
　大規模に農業を行うならば、効率は大事だ。安全なものをお届けするには、なるべく農薬は使わない方がいい。でも、それだけだろうか？<br />
　色々な考え方があるし、それらは間違いではない。ただ、仙一は農業をするにあたって、大切にしたい想いがあった。いのちを作り、いのちをいただく、それによって人間も生かせていただく...その想いは無くしたくなかった。<br />
　マイセンを創業してから20年近い現在でも、仙一がずっと続けていることがある。それは、毎年、初めて刈り取りをするという日の早朝、田んぼに入って一人だけの儀式を行う。これから刈り取りをする稲たちへ、これから大切ないのちを摘んでしまうことへのお詫びと、そのいのちを生かす誓い、そして、感謝の言葉を伝えることである。</p>]]>
        
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    <title>「いのち」をつなぐ　～自然乾燥への挑戦（２）～</title>
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    <published>2011-09-01T07:46:34Z</published>
    <updated>2011-09-05T07:50:38Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　食べ物を食べるということは、もちろん生きていくための栄養を摂ることでもあるが、ただそれだけではないと、仙一は思っていた。<br />
　植物も動物もいのちがあって、食べるということは、まさにそのいのちをいただくということに他ならない。米だって稲が育んだ「いのち」だ。ありがたく感謝していただいて、自分たちが生きていく糧とさせていただき、そのいのちを次につないでいく...そういうことが大事なんじゃないかと思っていた。<br />
　ただ栄養を摂るだけだったら、サプリを飲んでおけばよい。実際にそういう人もいるし、それを否定するわけではないが、何かが違うんじゃないかと感じていた。<br />
「どうせなら、いのちのあるものを作りたい！」<br />
　時間をかけて、土作りから始めた。化学肥料を使わず、農薬も使わず、どじょうやタニシでいっぱいの田んぼになった。稲も、既存の機械では規格外になってしまうくらい、丈夫に立派に育った。<br />
　そこまで大事に大事に育てたんだから、絶対いのちのあるままお客様にお届けしたい!!<br />
　さて、それをどうやって実現するかが、難問だった。<br />
　仙一はビジネスとして農業をやっているわけだから、効率というのも無視はできない。昔ながらのはさがけでは効率が悪すぎる。だが、米のいのちを保ったまま仕上げるには、太陽の力を借りるのが一番なはずだ。</p>

<p>　いろいろな施設を見に行った。相談もしたが、なかなか相手にしてくれない。「今更、はさがけには戻れんやろ」。自然乾燥なんて無茶だと言うのだ。<br />
　別に、はさがけをしたいわけではない、いのちがある仕上げをしたいだけだ。きっとどこかに答えがあるはず...。<br />
　唯一、その時良い方法として、除湿乾燥機を使う方法があった。火力の代わりに、巨大な除湿器を使って米の水分を飛ばすのだ。これは、米にとっては素晴らしい方法だった。均等にムラ無く乾き、仕上がりが素晴らしかった。<br />
　ただ、この巨大な除湿器がやたら電気を食った。なんと火力乾燥の５倍以上もの光熱費がかかった。機械そのものも高くて、火力乾燥機の２倍の値段だった。機械の値段は導入時だけだから、まだ我慢できるとしても、ここまでランニングコストがかかりすぎると商売にならない。<br />
　そこで、また違う方法を探しに行った。今度は、大学などの研究施設や、メーカーなども廻ることにした。<br />
（つづく）　</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「いのち」をつなぐ～自然乾燥への挑戦（１）</title>
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    <published>2011-08-01T07:43:31Z</published>
    <updated>2011-09-05T07:51:47Z</updated>

    <summary>44</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.maisen.co.jp/monogatari/">
        <![CDATA[<p>　仙一の家は、農家だったから、子供の頃から農作業を手伝わされていた。その頃の乾燥方法といえば、木で作った柱に横棒を渡し、それに刈り取った稲をかけて、お日様で乾かす「はさがけ」だった。<br />
　お日様の力でざっと乾かしてから、その後、わらともみを分けて（脱穀）、もう一度もみになった米をむしろの上で干した。全部お日様の力だった。<br />
　均等に乾かすために、むしろの上で鍬を使って天地替えをするのが、子供や年寄りの仕事だった。仙一も子供の頃から手伝わされていたので、米はこうやって時間をかけてお日様に乾かしてもらってから食べるんだと、当たり前のように考えていた。<br />
　ところが、いざ自分で農業を始めてみると、乾燥方法一つをとってみても、随分と様変わりをしていた。<br />
　お日様まかせということは、天候によって出荷できる時期が左右されてしまうので、なるべくお日様に頼らなくてすむ方法に変っていきつつあったのである。<br />
　むしろでお日様に当てて干すという工程が、室内に設置した大きな機械に、灯油バーナーの熱風を送り込んで乾燥させるように変っていったし、コンバインが本格導入されて、刈り取りと同時に脱穀をするようになると、さらにその傾向は進んだ。水分量の多い生もみは、できるだけ速やかに乾燥させないと、カビが発生してしまうなど、貯蔵することもできなかったからだ。<br />
　より強力な灯油バーナ－を使うようになり、胴割れ（※）が起きてしまうほどの、米にとって負担の大きい方法になっていった。そうやって乾かした米というのは、米そのものを撒いても芽が出ない。乾燥させる過程で、「いのち」が失われているのだ。だから、種もみ用の米は、同じ工程を通さずに、ゆっくりと熱をかけずに乾かしていたのである。<br />
　農家の間では、それが当たり前だった。<br />
　「何かおかしくないか？」<br />
　せっかく、時間をかけて農薬や化学肥料を使わずに米作りをして、大切に大切に育てた米を、なんで最後の最後で、自分の手で殺さなきゃいけないんだ？<br />
　当時のはやり言葉に、「ビールは鮮度がいのち」というのがあった。<br />
ビールでさえ「鮮度がいのち」と言ってるのに、主食のお米の鮮度を気にする人は誰もいない。それが不思議でならなかった。<br />
　「よっしゃ、『いのち』のある米を作ってやろうじゃないか！」<br />
　（つづく）</p>

<p>※胴割れ...胴割れとは、米粒の胚乳部に生じる亀裂。高温による急激な乾燥、水不足などで生じ、食味や精米精度が落ちる原因となる。</p>]]>
        
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    <title>残留農薬検査へのこだわり（４・完）</title>
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    <published>2011-07-01T07:40:53Z</published>
    <updated>2011-09-05T07:53:34Z</updated>

    <summary>43</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.maisen.co.jp/monogatari/">
        <![CDATA[<p>　農薬が残っていないという化学的な証明を頂いたことは、仙一にとって何よりの励みになった。自分がやろうとしていることが間違いでないということがわかって、安心したが、そうすると、違うことも気になってくる。<br />
　「おれんとこの米は大丈夫だったが、よそはどうなんやろ？」<br />
　決して金銭的な余裕があったわけでもなく、ただの知識欲にすぎなかったが、一旦考え始めると気になってたまらない。福井県以外で、通常農法を行っているお米を手に入れて、また検査に出してみた。<br />
　すると、規制の基準値以内ではあったが、やはり残留農薬が検出された。その米を作っている農家に、農薬をやった時期を聞いてみると、収穫の30日前くらいだという。現在は、収穫間際に農薬を散布するところは少ないが、特に厳格に規制されているわけでもなかった。仙一は、収穫間際に散布した農薬は残ると考えていたから、その考えが証明されたかっこうにもなった。<br />
　ただ、美味しい米ではあった。知り合いから、「これ美味いよ」と、もらった米だったから、検査に出さなかったら何の疑問も持たずに、美味しく食べて、それで終わりだっただろう。「美味しい＝安全」では、必ずしもないということもわかった。<br />
　それ以来、毎年、残留農薬検査を行うのがマイセンの恒例行事になった。<br />
　検査料は、少しずつ安くはなっていったが、なかなか5項目から増やすことができなかった。それが一変したのが２００８年の、いわゆる「毒ギョーザ事件」である。あれで、世の中が急変した。残留農薬に対する世間の考え方が変わり、様々な食品に対して人々が過敏に反応するようになった。それがいいか悪いかは別として、少なくともマイセンにとって良かったことは、検査料が大幅に下がったことである。<br />
　検査機関が、雨後のタケノコのように、どんどん増えて、それと同時に検査料も、どんどん下がった。仙一が元々やりたかった2百項目でも、最初は全部で２～３千万と提示されたが、2008年以降は、なんと、わずか2百分の１の値段で出来るようになったのだ。それで、一気に項目を増やし、現在は250項目について、残留農薬検査を行っている。<br />
　今でこそ、残留農薬検査を行っていると言っても、驚かれなくなったが、10数年前は、どちらかというと変人のように言われたものだ。「お前はあほやなぁ、そんなことして何の得になるんや？」<br />
　別に得になるから、検査をしているわけではない。マイセンの米を食べる自分の家族、会社のメンバー、それからマイセンのお客様...。大事な人たちに、安全なものを食べてもらいたいと思うのは当たり前のことだ。<br />
　「残留農薬検査」は、マイセンの歴史でもあり、安全に対する考え方なのである。（完）<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>残留農薬検査へのこだわり（３）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.maisen.co.jp/monogatari/1035.html" />
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    <published>2011-06-01T00:01:13Z</published>
    <updated>2011-06-01T09:17:47Z</updated>

    <summary>42</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.maisen.co.jp/monogatari/">
        <![CDATA[<p>「正気ですか？いったい、何をする気なんですか？」<br />
　玄米のサンプルと共に、意気揚々と乗り込んだ仙一に対して、応対してくれた研究員は、明らかに不審そうな様子で、こう言った。<br />
　当時は、残留農薬検査を行う人はほとんどいなかったので、検査を行うのに、莫大な費用がかかると言う。<br />
「いくら？」<br />
「成分にもよりますけど、１項目２万から20万くらいですかね。これ、２００種類ですか？　ざっくり見ても２～３千万はかかりますよ。こんな検査する人誰もいませんよ」<br />
「２千万!?」、思わず耳を疑った。てっきり、10～20万程度も出せば、全ての項目が検査できると思っていたのだ。<br />
　当然ながら、そんなお金があるはずもない。仙一が悩んでいると、少し気の毒に思ってくれたのか、研究員がこう提案してくれた。<br />
「どうしても検査したいなら、気になる成分だけに絞って４～５項目にしたらどうです？」<br />
　金銭的な余裕があって検査をするわけではなかったので、仕方なく、その提案に従うこととした。その研究員と相談しながら選んだのは、５項目。農協や福井県の農業関係機関に問い合わせて調べた、この辺りで一番使われている農薬の代表成分だった。この検査機関ではできない高度な検査方法を使う必要があるから、東京へ送るという。結局、たった５項目だけでも合計30万かかった。<br />
　予定とはちょっと違ってしまったが、それでも検査に出すことができた。これは、誰のためのものでもない、自分に対する確認だった。自信を持って自分の米を売るための根拠になるものであり、また、安全、安心であることの担保でもあった。自分自身も玄米食を始めていたし、まだ小さい子供にも玄米を食べさせ始めた。健康にいいから、と思って始めたことなのに、農薬が残っているのではないか、という不安を抱きながら食べさせたくはなかった。<br />
　検査の結果が出るのに２～３週間かかるというので、その間、ドキドキしながら待っていた。田んぼに棲んでいる、たくさんのドジョウやタニシが安全を証明してくれているはずだ、と思いつつも、一抹の不安をぬぐいきれない日々だった。<br />
　３週間後、ようやく検査機関から連絡がきて、結果を取りに行った。<br />
　検査に出した５項目全てにおいて「検出せず」。一切、農薬成分が検出されなかったという証明だった。<br />
　安心した。<br />
　自分のやろうとしていることは間違いではないんだということを確認できた瞬間だった。</p>]]>
        
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    <title>残留農薬検査へのこだわり（２）</title>
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    <published>2011-05-07T08:03:05Z</published>
    <updated>2011-05-07T08:04:28Z</updated>

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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.maisen.co.jp/monogatari/">
        <![CDATA[<p>　元々、営業マンだった仙一は、これから自分が作る米についても、「農薬を使っていない安全な米だ！」と自信を持って売りたかった。有機栽培だとか、特殊農法だとか、そういったことを声高に言うつもりはなかったが、生き物でいっぱいの田んぼで作った自分の米と、生き物が全く棲んでいないよその田んぼの米...、どこかで線引きをしたかったのである。それは、お客様のため、というよりも、むしろ自分のためでもあった。<br />
　自分で農業をやるようになってから、仙一はある不安を持っていた。マイセンの田んぼの隣には、通常農法の田んぼがあり、そこでは農薬を使っている。田舎の、このあたりでは、農薬を散布する時期になると、場所によっては窓も開けられない日もあるくらい、風が吹くと、どんどん農薬が飛んでくるし、同じ用水路を使ってるのだから、水にも流れ込んでくるだろう。それには、当然農薬も混じっているはずだ。いくら自分で農薬を使わないとはいえ、こんな環境で本当に安全なのか？<br />
　確かに、うちの田んぼには、ドジョウもタニシもうじゃうじゃと棲んでいる。だが、果たしてそれだけで、安全、安心と、言い切れるか？　自分で疑問を持ちながら、お客様には「安全です！」などとは、とても言えるものではなかった。<br />
　「誰が見ても安全だとわかってもらうには、どうすればいいんだろう？」<br />
　答えはさほど難しくない。とれた米に農薬が残っていないことを証明すればよい、つまり化学的な残留農薬検査をしてもらえばよいのだ。<br />
　だが、それを実行に移すとなると、そう簡単ではなかった。<br />
　約20年前の当時は、農作物に残留農薬検査を行うなんてことは、農協や米屋でも聞いたことがなかった。どこに出せば調べてくれるのか、どういう基準を調べるのか...全てが手探りだった。<br />
　それでも、色々と調べるうちに、なんとか検査をしてもらえそうなところは見つけた。何を検査してもらうかについても、日本で主に使用されている農薬を調べあげて、約２００項目について自主的な基準も決めた。<br />
　とりあえず、これで検査してもらおう！<br />
　玄米のサンプルと、自分で調べ上げた検査項目の一覧を持って、意気揚々と検査機関に乗り込んだのだが...。<br />
　対応してくれた研究員は、開口一番こう言ったのである。<br />
　「正気ですか？」<br />
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    <title>残留農薬検査へのこだわり（１）</title>
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    <published>2011-03-25T09:08:23Z</published>
    <updated>2011-05-07T08:06:24Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　今でこそ、「残留農薬」という言葉は一般的に認知されているが、仙一がマイセンを立ち上げた当初は、あまり一般的な言葉ではなかった。<br />
　日本の農薬規制は、諸外国に比べるとずいぶん遅れていて、1970年代になってようやく、消費者保護の観点から見直されるようになったが、それまではどちらかといえば生産者寄りの考え方に基づいていたものだった。<br />
　もちろん、「有機栽培」という基準もない。「無農薬米」「有機栽培米」「減農薬米」...生産者がめいめいに好きな名前を付けていたから、様々な言葉が氾濫して、消費者には非常にわかりにくかったが、なるべく売れるような表示にしたいという気持ちも、ビジネスとしては理解できなくはなかった。<br />
　そもそも、仙一がマイセンを立ち上げた目的は、有機栽培をしたいからではない。人間らしい生き方をしたい、その手段として、たまたま家業であった農業を選んだのだ。<br />
　仙一が父親から受け継いだ田んぼでは、元々農薬を使うことがほとんどなかったが、理由は単純で、二人とも農薬にかぶれる体質だったからである。仙一は特に肌が弱く、農薬どころか化学肥料もダメだった。<br />
　仙一にとって、農薬を使わないことはごく普通のことだったが、ある日、自分の田んぼと小さな畦ひとつを隔てたよその田んぼとでは、風景が全く異なることに気づいた。自分の田んぼには、タニシやドジョウがうじゃうじゃいるし、鳥たちもうるさいくらいに飛び回っているのに、他の田んぼには全く生き物がいない。子供の頃からタニシをとって遊んでいた仙一には衝撃的な光景だった。<br />
　それからである。「地球を汚さない農業をしたい」と思い始めたのは。この大地は、未来のこどもたちから預かっているもので、自分たちが好き勝手にしていいものではない。汚さないようにするのは当たり前で、むしろ、より豊かにして渡すべきものなのだ。「おじいちゃんたちのせいで、農薬まみれの土地になった」などとは言われたくなかった。<br />
　また、ビジネスをやっていく上で、自分の商品を、自分で自信を持ってお客様に届けたかった。「有機栽培」などと声高に言うつもりはなかったが、生き物のいない他の田んぼで作ったお米と、生き物でいっぱいの自分の田んぼで作ったお米、どこかで線引きをしたかった。その時に思いついたのが「残留農薬検査」である。<br />
</p>]]>
        
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    <title>平成６年の大干ばつ（6・完）</title>
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    <published>2011-03-25T09:06:38Z</published>
    <updated>2011-03-25T09:07:18Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　8月16日。地元の神社の祭りの日、準備の合間を見て、仙一はあいもかわらず田んぼに水を運んでいた。空が陰ってきたのを感じ、ふと作業の手を止めて空を見上げた。「もう、そんな時間か？　祭りが始まる前に戻らなければ」。時計を見ると、まだ16時前だ。真夏のこの時期、夕暮れにはまだ早い。<br />
　「もしかすると...」。この2ヶ月ばかりの間、いつも期待を抱いては何度も裏切られた、<br />
その同じ思いで、もう一度空を見上げた。間違いない、雨雲だ。大きな雨雲がものすごいスピードでこちらへやってくる。10分以上も空を見上げていただろうか、淡い期待はやがて確信に変わった。<br />
　「こりゃ降るぞ！」<br />
　あっと言う間に空は真っ暗になり、ポツポツと降り始めた雨は、すぐに強い勢いで地面を濡らし始めた。<br />
　「やったぞ！！！」仙一は思わず声に出して叫んだ。いつのまにか大粒の涙が頬を伝い、激しく降ってくる大粒の雨と入り混じって何も見えなくなった。今まで頑張ってきた稲たちへの天からの最高の贈り物だった。仙一に対しても、「今までお疲れさま」と雨と稲たちがねぎらってくれているような気がして、なんだか照れくさかった。<br />
　この雨は夜までずっと降り続いた。<br />
　その後は定期的に雨が降るようになり、ようやく水不足は解消されて無事に収穫を迎えることができた。ほとんど枯れかかっていた一番ひどい田んぼでも、規格外の小さなお米ではあったが普段の収穫量の7割はとれた。稲の生命力に驚くばかりだった。<br />
　農業とはこういうことなんだ。<br />
　自然はその大いなる力で生命をはぐくみ、それをお手伝いさせていただくのが農家で、お世話をさせていただく仕事が農業なのだ。農家（自分）が米を作るとの考えは百姓のおごりだ。どんな困難が起こっても、一生懸命やれば、きっといつか自然は助けてくれる。自然の偉大な力に、ただただ感動し、感謝の気持ちでいっぱいになった。<br />
　この平成6年の大干ばつは、100年に一度の大干ばつだった。平成5年に100年に一度の冷害が起こり、次の年には100年に一度の大干ばつ...なんと、200年来たぞ！　と仙一は家族と笑いあったものだ。平成4年にマイセンを立ち上げ、平成5年～6年と、とんでもないマイセンの船出となったが、自然の大いなる力を学んだ貴重な2年でもあった。（平成6年の大干ばつ・完）</p>]]>
        
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    <title>平成６年の大干ばつ（５）</title>
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    <published>2011-02-01T01:17:48Z</published>
    <updated>2011-02-02T04:46:41Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　その夏は、日本中が水不足だった。特に九州では厳しい給水制限が実施され、福岡市の一部断水は、平成6年の7月から翌6月までの約300日にも及んだ。連日、水不足に関する報道が続き、なるべく水を使わずに生活する情報があちこちのメディアで紹介されていた。<br />
　近所に、当時では珍しいミネラルウォーターを販売している会社があった。今でこそ飲料水の宅配は珍しくないが、当時は、「水を買う」ということは特に田舎では考えられなかった。当然、この会社も活気溢れる状況とは程遠く、会社の前を通るたびに「この会社大丈夫なんかな？」と、当の会社にとっては余計なお世話なことを思ったものだった。それが、この年の水不足で様相が一変した。全国から受注が殺到したのだ。この会社は一気に息を吹き返した。<br />
　日本中が水の大切さを痛いくらいに実感していた。<br />
　平成6年8月16日。<br />
　仙一の、ダンプでの水運びはそろそろ1ヵ月になろうとしていた。24時間体制で水を運び、睡眠も食事もロクにとることができない。まさに精も根も尽き果てた状態だった。「俺はできることは精一杯やった。もうどうにでもしてくれ」。<br />
　その日は、地元の神社の祭りの日だった。実行委員長だったので、祭りの準備をしながら、合間を見てあいもかわらず水を運んでいた。<br />
　夕方になり、そろそろ祭りに戻らなければならないという頃、空が曇り始めた。日が暮れるにはまだ少し早い、これはもしかすると...。<br />
　仙一はその時、田んぼにいた。空がだんだん曇ってきて雨雲らしき黒い雲に覆われるのを、じっと見ていた。いつもいつも期待をしては裏切られる、今度もそうかもしれないと思いながらも、祈りをこめて空を見ていた。<br />
　「こりゃ降るぞ」。</p>]]>
        
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    <title>平成６年の大干ばつ（４）</title>
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    <published>2011-01-04T01:15:29Z</published>
    <updated>2011-01-12T01:16:52Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　「稲たちを助けてやりたい！」<br />
　この田んぼは水利が悪いから、ここは捨てて向こうの田んぼに水を回そう...それまで考えていた打算的な思いは、一瞬で吹っ飛んだ。<br />
　田んぼではとっくに水が干上がり、大地に大きく口を開けたひび割れが痛々しかった。そんな中でも稲たちは、必死に夜露を集めて穂を出そうとしているんだ。ここで稲たちを救わないと何が農業人だ！<br />
　そこから、仙一と太陽との根競べが始まった。<br />
　３トン入るタンクを買ってきて、それをトラックに積み込み、共同で水を汲める川から水を運んだ。汲み取り口までは約30分、みんなが水を汲むために順番待ちをしているので、その列に並び、タンクに水をいっぱいにすると、そのまま田んぼに戻って水を流し込んだ。<br />
　乾ききった田んぼにとって、たかだか３トンの水は、まさに焼け石に水だった。３トンを流し込んでも、１メートル流れていくかいかないうちに全て吸い取られてしまい、とても田んぼの奥まで水が届かなかった。ホースを使い、まんべんなく流れるようにしてやったが、田んぼのひび割れは、ちっとも小さくなったようには見えなかった。<br />
　これを１日に何回も繰り返した。行って帰って行って帰って...往復と待ち時間を入れると、１日に20回くらいが限界だった。<br />
　食事もとらず、24時間体制で朝から晩まで、来る日も来る日も川に通い続けた。そんな仙一をあざ笑うかのように太陽は容赦なく照りつけた。少し雲が出てきて「今度こそは...！」と思うと、あっという間に風がやってきて、淡い期待と共に雲を押し流してしまうのだった。<br />
　「絶対負けんぞ。稲を守ってやるんだ！」<br />
</p>]]>
        
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    <title>平成６年の大干ばつ（３）</title>
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    <published>2010-12-01T06:40:55Z</published>
    <updated>2010-12-01T00:19:50Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　来る日も来る日も空を見上げ、ため息をついては自分の田んぼを見下ろす...そんなことの繰り返しだった。<br />
　ただ、いいことも一つだけあった。放流された近くのため池から、普段お目にかかることない生き物達が、田んぼに流れ込んできたのだ。大きなケガニや、時にはスッポンまで流れてきて、子供と一緒に捕まえては遊んだ。ためしに網をしかけてみると、面白いくらいにかかった。サラリーマン時代は子供と遊ぶことがほとんどなかったから、子供がケガニを捕まえて大喜びしている様子を見ていると、とても嬉しかった。<br />
　しかし、雨は降らない。ため池から流れ込んできた水も、毎日のカンカン照りに、すぐに干上がってしまいそうだった。<br />
　「水利の悪い田んぼは捨てて、他のところへ回すか...」。<br />
お米を待っているお客様がいる、借金もある、ダメになりそうな田んぼは捨てて、他に水を回したほうがよい...そんなことを考え始めた7月の半ば。本来ならば、受粉を終えた稲たちが穂を出し始める頃だ。田んぼを見てから決めようと思った。<br />
　ところが、水のほとんどない田んぼでも穂が出始めているではないか。夜露を集めて、なんとか水を吸おうとしている。その健気さに胸が熱くなった。<br />
　「こいつら、こんなにひどい状況の中でも頑張って次の命を生み出そうとしているんだ。助けてやらなければ！」<br />
　稲は今、「出産」をしようとしているのだ。儲かるとか儲からないとか、そんなことはどうでもいい。必死に頑張っている稲たちを少しでも助けてやるのが自分の努めだと思った。</p>]]>
        
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    <title>平成６年の大干ばつ（２）</title>
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    <published>2010-11-13T06:40:21Z</published>
    <updated>2010-11-13T06:40:47Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　雨が降らないまま梅雨が明け、暑い夏がやってきた。気温はどんどん上昇し、稲はまもなく開花の時期を迎える。<br />
　しかし、いつまでたっても一向に雨が降る気配がなかった。<br />
　田んぼの水はいかにも心もとなく、田んぼの周りを流れる用水も、今にも涸れてしまいそうだった。<br />
　空が曇るたびに「今度こそ降るんじゃないやろか」と半ば祈りをこめて空を見上げるが、雲はあっという間に押し流されてしまうのだった。<br />
　マイセンの持っていた田んぼは、水の便のよいところにあるものが多かったが、全体の1/10ほど水利の悪いところがあった。やがて、その田んぼの用水に水が流れてこなくなり、川から直接ポンプで水を運ぶようになった。<br />
　こうなると、昼も夜もその田んぼにつきっきりになった。仙一は農業については新参者だったし、あちこちで「ヨソ者」扱いされることも多かった。夜の間にポンプを止められたり、エンジンを破壊されたり...、そんな妨害を防ぐために昼夜問わず田んぼの見回りをした。<br />
　仙一は、村の役員もしていたから、自分の田んぼを守ると同時に、皆の田んぼも守らなければならなかった。<br />
　水利権という、地区ごとに決められた水に関する決まりがあり、これは行政も口を出すことができない、昔からの厳しい掟だった。水不足が続き、そのうちに、この掟を破る者が出てきた。川の上流で勝手に水を汲んでいる者がいたら止めに行かねばならなかったし、自分の田んぼも見回りをしなければならなかった。<br />
　皆が、自分の田んぼや畑を守るのに必死で、気も立っていた。ちょっとしたトラブルですぐに殴り合いのケンカになり、警察沙汰になることもあった。<br />
　大の大人がスコップを振り回してケンカをしているさまは、今からみると滑稽にも思えるが、当時は全ての農家が自分達の田んぼや畑を守るために必死だった。<br />
　そうやって人間が水の奪い合いをしている間にも、田んぼはどんどん乾燥していった。梅雨どきの豊かな雨で肥沃な土壌になるようにと6月にまいた肥料が、そのまま田んぼにへばりつくようにして残っていた。地面はカラカラに乾燥し、自分の握りこぶしが入るほど大きなひび割れがあちこちに出来ていた。<br />
　「今年はもうダメかもしれん...水利の悪い田んぼは捨てんとあかん」。<br />
　次第にそう思い始めてきた。</p>]]>
        
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