仙夜一夜物語

第54回「マイセンのビジネスモデル(5)」

 当時、農家が、お米を直接お客様に販売することは認められていなかったが、特別な手続きをふむことによって、販売ができる制度があった。
 しかし、それも親類縁者に収穫したお米を分けてあげる、くらいの規模のもので、やはり基本的には直販は禁止だったのである。
 それでも初年度は、この制度を利用してそれなりの成果をあげることができたが、2年目に入って、いざ大々的にやろうとすると、あちこちで衝突が起きた。直販をさせまいと、様々な手段で嫌がらせや妨害を受け、しまいには、お米を買ってくれているお客様にまで、「それは違法ですよ」と電話が入る始末である(もちろん、全く違法ではない)。
 これは福井だけではなく、日本中がそんな状態だった。
 戦前に成立した、今の現状には合わない食糧管理法を何とか維持しようとする体制側と、そんな状況を打破しようとする生産者と...。いわば、農業の転換期だったのである。
 食糧管理法の違反には罰則もあったが、取り締まりはさほど厳しくはなかった。テレビの取材や本に取り上げられるほど、大々的に「違反」を行っている猛者もいたくらいである。むしろ、福井はそういう意味ではおとなしい方だった。
 初年度は、仙一もおとなしく国の制度に従っていたが、お客様にまで妨害の電話が入るようになると、フツフツと反抗の気持ちが沸いてくる。
 「違法でもなんでもないのに、そうやって妨害するつもりなら、こっちもやってやろうじゃないか!」
 マイセンを立ち上げるときに温めていたビジネスプランを、いよいよ実行に移すことにしたのである。
 基本は、いたって単純。「自分で作ったものを売る」。
 何せ、元々、営業マンである。農業よりも、むしろ得意分野だった。
 誰に、どうやって売り込みに行こう?
 何でも一番が好きな仙一である。最初っから一番大きいところに当たってみることにした。
 当時、ナンバー1の売上げを誇っていた外食チェーンS社に、マイセンのお米を売り込みに行ったのである。(つづく)

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