仙夜一夜物語

第53回「マイセンのビジネスモデル(4)」

 当時、米の販売は、国の管理統制の下におかれていたが、その「国」というのは、すなわち農協だった。農家の仕事は、米を育てて農協へ出荷するまでで、その後の保管から、精米、販売は、農協の管轄下だった。
 ところが、仙一が計画していたマイセンの新社屋は、生きた米を作り、生きたままお客様にお届けするための保管庫や精米施設まで含まれた、「直販しますよ!」と言わんばかりのものだった。当時の制度の下では、農協が快く思うはずがない。
 新社屋の建設のために、国の低金利融資を受けることになっていたが、それにも農協の意見書が必要だった。すんなり行くはずがないと思っていたが、意外にあっさりと農協のOKがでた。「農協も意外と太っ腹だな」と思いながら、最大の難関をクリアした後の新社屋計画は順調に進んだ。しかし、無事に起工式も終え、やれやれと胸をなで下ろしたのもつかの間、やはりそう簡単にいくはずがなかったのである。
 夜遅くに仙一のところに県の関係者が飛び込んできたのは、起工式の2日後であった。
 「牧野さん、大変や! 農協がハンコ押してくれんのや。このままじゃ融資はできん。」
 全く寝耳に水の出来事だった。
 何度も足を運んで農協と交渉をしたが、農協は「ハンコは押せません」の一点張りで、取り付く島もなかった。結局、融資は下りなかったのである。
 必死の思いで仙一が金策に駆けずり回ったおかげで、なんとか新社屋建設は断念せずに済んだが、米の直販というビジネスモデルは、この後も何度も頓挫しかけることになった。
 国の法律にのっとった制度であるはずの「特別栽培米」の利用すら、NOと言われたのである。

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