仙夜一夜物語

第50回「マイセンのビジネスモデル(1)」

 一般に、ビジネスモデルとしてもっともシンプルなのは、自分でモノを作って(採取して)、それを人に売る、もしくは何かと交換するということで、これは遙か昔、人間が社会生活を営むようになった頃から、ありとあらゆる場所で行われてきたことである。
 だが、この現代日本で、そのシンプルなビジネスモデルが通用しない商品があった。
 米である。
 米は、国の指定や県などの認可を受けた業者でなければ販売してはならなかったし、認可を受けた米穀店も、販売してよいのは認可を受けた地域だけであり、原則として他の地域に販売してはならなかった。米を作っている農家といえど、例外ではない。農家は自分たちが作った米を自分たちで販売してはならなかったのである。
 米は、当時の食糧管理法(食管法)の下で、政府によって厳格に生産・流通・消費が管理されていた。食管法は、食糧の確保と国民経済の安定を目的として1942年に制定された法律であるが、そもそもの目的は、戦時体制に入っていた日本が、戦争遂行に必要な食糧を確保するためのものだった。
 ここでいう「食糧」とは、すなわち米のことである。
 この法律により、米は生産から消費まで、国家による統制下におかれることとなり、勝手に販売してよいものではなくなったのである。
 マイセンが創業した1992年当時も、制定されてから既に50年経過し、米をとりまく食環境も当時とは大幅に異なっていたにも関わらず、依然として米は食管法の統制下にあった。
 仙一が、今までの商社づとめをやめて、家業の農業をやろうと思った時に、たまたま鯖江市内で、この米の販売者登録の募集をしていたのである。

(つづく)

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