仙夜一夜物語

第49回「農法の研究(3・完)」

 「うらら農法研究会」の構成員は仙一を入れて6名。農閑期になると、農業の先進地区、大学の研究所...とにかく、勉強になりそうなところがあれば、日本全国出かけて行って、自分たちの農業に、どんどん採り入れた。
 京都大学の先生からは、土壌作りに役立ちそうな光合成細菌のことを学び、農業機械の先進県・秋田では、大型機械を導入した農法について学んだ。
その他にも新潟での微生物農法、兵庫の肥料工場...これだ、と感じたものは労をいとわず出かけて行って勉強し、共同で資材を購入したり、農法のテストをしたりと積極的に取り組んでいった。
 勉強した理論に基づいて、肥料の代わりに、とある有名なアミノ酸化学調味料を大量に撒いたこともあった。購入先にも、周りの農家からも相当に変な目で見られたものの、目を見張る成果があがった。ただ、高コストすぎたため、この経験を元にオリジナルの肥料を開発した。この肥料は現在でもマイセンで使用している。
 ここで目指していたのは、「自分たちの農法」だった。
 何のために農業をやっているのか? 自分たちが食べるためだけでなく、なぜ商売としてやっているのか? どういうものを、どうやって作れば、お客様に喜んでもらえる「商品」になるのか? 安全、効率、美味しさ...何が大切なのか?
 学ぶべきテーマはいくらでもあった。
 学んできたことを、夜を徹して議論しあい、時にはケンカになることもあったが、それを通じて見えてくるものが確かにあった。
 当時、ようやく「有機」という言葉が登場した頃で、基準もはっきりしなかった。しかも、安全性を確保するための「有機」ではなく、商品価値を高めるために「有機」とされることすらあった。例えば、田んぼの一部だけを有機農法にして、それで「ウチは有機農業だ」と謳う例もみられた。
 そんないい加減な「有機」ではなく、本当に安心して食べることができる安全なものを作りたいが、食べ物なんだから美味しくなければならない、美味しくてかつ安全なものを作るにはどうすればいいか? これが、うらら農法研究会の考え方のベースになった。
 こうやって、今のマイセン農法の基礎ができた。大地を汚さないこと、豊かな自然の恵みをそのまま子孫に伝えられるような農業をしたい。仙一がたどりつき、またこれからも目指していくものは、そんな農業である。

(農法の研究 - 完)

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