仙夜一夜物語

第47回「農法の研究(1)」


 それまでの商社マンから一転して農業の世界へ飛び込んだ仙一の、一番の指導者は父だった。たまたま、二人とも、農薬や化学肥料にかぶれて肌が荒れる体質だったため、自然と、それらのものを使わない農業をすることになった。いわゆる「有機農法」に近いものだが、20年前の当時は、「有機」という言葉自体が珍しい時代だった。
 参考文献などもあまりなかったので、父の指導は大いに参考にはなったが、親子という甘えもあり、なかなか素直に父の言葉に従えず、対立も多かった。元々凝り性なので、とことん追求してみないと気がすまないし、人の意見も、まずは自分で調べて確かめてみて、納得してからでないと、素直に受け入れられなかった。
 「近代有機農業の父」と言われるイギリスのアルバート・ハワード卿が著した「農業聖典」。ハワード卿が教えを仰いだ師は自然であり、彼が農業に取り組んだ地(インド)の農民であり、人々が「害虫」や「雑草」と呼ぶ動植物だった。ハワードは、自然を「最高の農業者」と敬い、他の科学者たちが化学薬品で退治しようと躍起になっていた害虫や雑草を「農業の教授たち」と呼んでいた。
 これが農業の理想の姿だ!と仙一は思った。人が作物を作るのではない、偉大な自然が育て、人はそれをお手伝いするだけなのだという、その理念に感銘を受け、以後「農業聖典」は、仙一のバイブルとなった。
 また、日本だけでなく海外でも大きな功績を残した福岡正信氏の「自然農法」の考え方も、大いに参考にさせていただいた。
 これも、簡潔にいえば「自然に逆らわない」農法である。野山に根付いている木々は、耕したり肥料をやったり除草をしなくても、立派に育っている。米にだって同じ考え方を応用できるはずだ。
 ただ、この二人の理念は、そのまま実現はできなかった。ハワード卿が農業を行ったのは、20世紀初頭のインドであり、同じような環境を現代日本で実現させることは不可能だった。たとえば、ハワード卿が肥料として使った家畜の糞は、エサなどに化学物質を混ぜられていない、19世紀の畜産法で育てられた家畜のものだったが、同じような方法で畜産を行っている農家は近くにはなかった。
 この素晴らしい理論をそのまま使うことはできない。自分で、今の自分の環境に合った方法を考えなければ...。

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