仙夜一夜物語

第48回「農法の研究(2)」

 仙一が目指した農業は、「農業聖典」のハワード卿や、「自然農法」の福岡正信氏の農法だった。どちらも、簡潔にいえば、「自然に逆らわない」。
 野山の木々や草たちは、誰も世話をしなくても立派に根付いて、たくましく育っているではないか。肥料もやらないし、農薬を撒くこともない。虫や雑草と共存しながら、あんなに立派に育っている。稲や畑の作物たちだって同じではないか? 植物を育てるのは、太陽や土や水などの偉大な自然で、人間は、ただ、そのお手伝いをさせてもらうだけではないのか?
 ハワード卿は、インドで有機農業の手法を研究し、それが現在の有機栽培の原点となった。自然を「最高の農業者」と敬い、他の科学者たちが化学薬品で退治しようと躍起になっていた害虫や雑草は、彼に言わせれば「農業の教授たち」だった。まさに、仙一の目指した農業の姿がそこにあったが、その通りに日本で行うことはできなかった。例えば、ハワード卿が19世紀のインドで使った肥料は、当時の畜農法で育てられた家畜たちの糞だったが、今の日本では、そんな畜産をやっている農家はほとんどなく、まず手に入らない。
 どうやれば、この日本で、先祖伝来の自分たちの土地で、行うことができるだろうか?
 まずは、彼らの考え方を学んだ。とは言え、農業に関してはかけだしの素人だ。必然的に、人や書物に教えを請うことになるが、当時、有機農法の専門書はほどんどなかった。そこで、篤農家や研究者のところへ訪ねていって、話を聞かせてもらった。
 最初は、ああでもない、こうでもないと、一人で勉強をしていたのが、そのうち周りの農家も興味を示すようになり、まだ農業を始めたばかりの仙一に、「教えてくれ!」と言う人まで出てきた。
「どうせなら、一緒に勉強しよう!」農業を取り巻く状況は、決して楽観できるものではなかったが、意欲を持って農業に取り組もうとする仲間が増えるのは嬉しかった。
 そこで、「うらら農法研究会」を作った。「うらら」とは、福井の方言で「私たち」のことである。メンバーは仙一以外に5人、みんな勉強熱心で、農業を愛している若者ばかりだった。

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