仙夜一夜物語

第26回「平成の米騒動(1)」

 仙一がマイセンを始めて2年目の年は、記録的な冷夏だった。長雨の影響は日本全国を襲い、場所によっては作柄が70(評価は「著しい不良」)を切るほどの大凶作だった。
 米不足で日本中がパニックになった。
 当時は、わずかな個人客と業務用に出荷していたが、一体どこで聞いたのか、知らない人からの注文が殺到した。電話は一日中鳴りっぱなし、福井は米どころでありながら、地元の人までわんさか押し寄せてきた。
 まさに「米騒動」だった。
 当時出回っていた闇米は、通常期ならば1俵2万円程度のものが1俵6万円にまで跳ね上がっていた。しかし「6万円でいいから売ってほしい」という人が山ほどやって来た。
 正直、6万円という価格はとても魅力的だった。社屋をたてたばかりで借金だらけの時期の上に、この不作。
 「3倍の価格で売れたら、不作の分が補えて何とか今年を乗り切れる...」
 結局、売らなかった。
 「事態は尋常ではない。日本中がみんな困ってる」、そう思った。
 そのときはすごく損した気分になったし、後悔もした。でも、そんなことをしなくてよかった。米不足に便乗してそんなことをしていたら、きっと有頂天になってしまって、その後まともに仕事をする気にならなかっただろう。後で冷静になってから、そう思った。
 まずは自分のお客様の消費量を確保して、定期購入の方にも全員、ご迷惑をおかけすることなくお届けした。さすがに少しは値上げをせざるを得なかったが、よそは倍以上の価格になっていたから、とても感謝をされた。
 「お宅で買っていてよかった」
 そう言われてとても嬉しかった。
 まだまだ駆け出しの自分を信じて買ってくれたお客様に、少しでも恩返しができた。
 あれから10数年以上たった今でも、マイセンでお米を買っていてくださるお客様がいる。
 反対に、こんなこともあった。
 「お米が無くて、家族中が困ってるんです。何とか助けてくれませんか」と泣きながら事務所までやってきた人がいた。大の男が、仕事を休んでまでマイセンにやってきて、泣いてこう訴えるのだ。
 「これからは絶対マイセンで買いますから!」そういう人も何人もいた。
 そこまで言われるとむげに断れず、お米を売った。しかし、そうやって翌年もマイセンで買ってくれた人は1人もいなかった。
 「人の心」。
 仙一にとっては、それを考えさせられた出来事でもあった。

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