仙夜一夜物語

第24回「大凶作(2)」

 『今すぐ帰ってきて』。いつもとは様子が違う妻の言葉に、それまでのほろ酔い気分が一気に冷めた。
 「どうしたんや??」
 『田んぼが真っ赤なのよ!』
 イモチ病という病気がある。稲が「イモチ病菌」に感染して起こる病気で、イモチ病にかかった稲は、枯死や生育異常を起こし、収穫できたとしても大幅に食味が落ちる。また、病原菌の一種なので一箇所で発生するとあっという間に広がってしまい、辺り一面の田んぼまでダメにしてしまう。特に収穫間際の(穂が出た後の)イモチ病は、今年の収穫ばかりでなく、種籾もダメにしてしまうことから翌年の収穫をも左右する、農家にとっては致命的な病気だった。
 そんな恐ろしいイモチ病が発生したというのだ。
 それまでの楽しい気分はふっとんで、あわてて電車に乗って帰った。もう遅い時間なので鈍行しかなかったが、滋賀県からの数時間を不安な気持ちで揺られて帰った。
 「どんなんなってるんやろ? うちの田んぼだけか? もしかしたら違うかも...見てみんとわからん!」
 帰ってみると、隣の村の田んぼがイモチ病で真っ赤になっていた。イモチは感染する部位によって様々な呼び方をするが、この時感染していたのは、一番恐ろしい穂首イモチだった。8月だったからもう穂が出始めている。穂首に菌が付着すると栄養がいかなくなり、稲そのものが枯れてしまうのだ。
 「これはうつるぞ...なんとかしなければ」
 隣の村とはいえマイセンの田んぼから見える位置だ。この距離では風にのってイモチ菌が飛んできてしまう。そうなると今年の収穫はゼロ、来年の種籾も危うい。
 イモチ病の対策は菌を除菌することしかない。すでにかかってしまった田んぼは救うことができないから、なんとかその田んぼのイモチがマイセンの田んぼにうつってこないように、田んぼの稲を全て殺菌するのだ。
 農薬は使えないから米酢を水に溶かして田んぼじゅうにまいた。一番大きな業務用の米酢を何百本も買って、大きなダンプで来る日も来る日も往復した。体中が酢くさくなった。
 しかし、その苦労は実らなかった。すでにマイセンの田んぼも感染していたのだ。隣の田んぼで発生してから、わずか2~3日で風にのって感染した。この田んぼの近くにある田んぼは、ほぼ全滅に近かった。
 丹精をこめて育て、ようやく穂を出し始めた黄金色の田んぼが、枯れて真っ赤になっていくのだ。仙一が滋賀に出かける時には、稲穂を揺らして見送ってくれた稲たちが、見る見るうちに変わり果てた姿になってゆく。胸がつぶれそうなほど悲しかった。
 しかし、これだけでは終わらなかった。大凶作の序章にすぎなかったのだ。

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