仙夜一夜物語

第19回「仙一、オーストラリアへ行く(1)」

平成6年が明けた。平成4年に運よく農業生産法人の認可をもらって、マイセンを立ち上げて2年がすぎた。
 とうてい順風満帆とはいえなかった。閉鎖的な社会、農協との軋轢...、あちこちでジャマをされ、施設を建設するにも、ものすごく苦労をした。
 自慢の設備がようやっと完成して、これで、自分で作ったこだわりの米を自分で売ることができる、と思ったのもつかのま。平成5年には「平成の米騒動」。冷害による大凶作の年で、米不足で日本中が大騒ぎをしていた。米の値段は高騰しトラブルも多かった。そんな中でのマイセンの船出。当時のいわゆる「常識」とは異質な仙一のやり方は、とかく反発を招きがちで、あちこちでいじめられた。
 元来、仙一は我慢強い方ではない。小さなゴタゴタが続く毎日の中で、ある日突然、農業がイヤになった。
 自分でこだわりを持って米を作り、それを売りたい。たったそれだけのことなのに、なんでこんなにゴチャゴチャ言われるんや??
 農業に誇りを持っていたが、日本での農業の地位の低さや、あまりに閉鎖的な社会、それら全てが農業の本質からずれている気がした。
 「もっと自由な社会で自分の農業をしたい!」その想いが少しずつ仙一を捉えていった。
 また、当時、マイセンを拡大して経営安定を図るために少しずつ農地を増やす計画を立てていたが、それもなかなかはかどっていなかった。こんな苦労をするのも、日本の農業の環境が悪いからだ...、そんな風に考えてしまうことまであった。
 そんな折、願ってもない話が飛び込んできた。
 「オーストラリアで田んぼをやってみないか?」
 希望者には、土地200haと住むための家、それに農機具が準備される。無償ではないが、2千万という格安の値段で手に入る。日本では考えられない話だ。
 話を聞いた瞬間、仙一は「これだ!」と思った。広大なオーストラリアの大地、農業の規模も大きいだろう。それに南半球のオーストラリアは、日本とは季節が逆だ。日本が真冬のときにオーストラリアは真夏。日本が春のときに、秋のオーストラリアでは新米がとれる。オーストラリアの日本人農家が、一年中日本に新米を届ける...。想像しただけでワクワクした。それまでの鬱屈したものが晴れていく思いだった。
 興味がある人は、直接現地の農業を視察することができた。
 「よっしゃ、一度行ってみるか!」
 しかし、問題が一つあった。当時の仙一には、お金が全然なかったのだ。前年にマイセンの施設を建設するための融資を、直前になって農協の横槍で断られた。それこそ命がけであちこち奔走し、ようやく費用をかき集めて建設にこぎつけたのだ。たった2週間の視察旅行の費用を工面できなかった。
 そこで、妻に頼み込んだ。結婚10周年にどこか旅行をしようと積み立てていたお金があったのだ。それを今回の費用に使うことを、幸子は快く許してくれた。ますます頭が上らなくなるな...と思いながらも、幸子に感謝して、仙一はオーストラリアへ旅立った。

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