仙夜一夜物語

第12回「農協との確執(中)」

 仙一は、当初、農業を「晴耕雨読」でのんびりやっていくつもりだった。家族を養えるだけの仕事をして、家族と共に時間を過ごし、今までできなかったことを楽しみたかった。
 ところが、前職の部下が会社を辞めてついてきたことから、仙一の青写真は変更を余儀なくされる。「無給でもいいから」という熱い思いに根負けしたものの、社員まで養っていくためには、親から受け継いだ7haの田んぼでは足りない。最低30~40haは欲しい。農地は借りるにしても、規模を拡大していくためには自前の加工施設が必要だ。
 仙一は、当時の「米」について疑問を持っていた。 当時は、石油バーナーで強制乾燥させるのが一般的だった。作業効率はよいが、それによって生きている米が死んでしまう。肉や魚、野菜も新鮮な方が美味い。米だって生きてるほうが美味いに決まってる!
 生きたものを、生きたままお客様にお届けするためにはどうしたらいいか? 仙一はあちこちに聞いて回った。当時の常識とまったく違うことを尋ねる仙一に、「お前はアホやなぁ」と呆れられもしたが、あきらめなかった。試行錯誤したあげく、風の力を借りて太陽熱で乾燥させることを思いつく。そして、精米にもこだわりたい。当時は、精米まで自前でやっている農家は皆無だった。農家の仕事は米を乾燥させて農協に出荷するまでで、精米して販売するのは米屋や経済連の仕事だった。生きた米を作り、精米も保管もしっかり管理をして、米が生きたままお客様にお届けしたい。夢はどんどん膨らんでいった。乾燥施設、精米機、保存のための低温倉庫。これを形にするには莫大な資金が必要になった。
 マイセン設立の翌年、仙一はすぐに計画を実行に移した。資金は国の低金利資金を借りることにしたが、そのためには農協の意見書が必要となる。農協関係者に根回しをして計画書の作成をした。精米や保管庫まで含まれた、農協のいわば「聖域」にまで踏み込んだ計画書だった。しかし意外にあっさりとOKをもらえた。なんだ、農協も太っ腹じゃないか! 県の関係者も驚くくらいだった。この調子ならいける!
 融資計画は順調に進み、工場を建てるために田んぼの埋め立てをし、工事の手付金も何とか工面をして支払った。県や市、農協の関係者を招待して起工式も行った。起工式後、着工されて初めて国から資金が下りるのだ。仙一は胸をなでおろして、施設完成後のプランについて、あれこれと考えていた。いくらでもアイディアは出てきた。
 ところが起工式の2日後だった。夜遅くに、県の担当者が突然自宅を訪れた。
「牧野さん、大変だ! 農協がハンコを押してくれんのや! このままじゃ融資はできん」。

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