牧野仙一(創業者で現社長)がそれまでの商社マン生活に終わりを告げ、農業を始めたのが1992年の春。「モノづくり」がしたいという思いが父の農業を継ぐ決意へと変わった。しかし、父をはじめ、周囲は猛反対。農業を取り巻く環境は厳しかったためだが、それでも牧野は決意を変えなかった。「絶対にやれる」という自信があったからだ。
商社マン時代に外食産業との関わりで学んだ「消費者第一主義」。これをコメ作りに活かそうと考えた。
マイセンは平成4年の創立以来、本当にいろいろなことがありました。 特に、設立当初は苦労ばかり........これまでの軌跡をほんのちょっとご紹介します。
「消費者第一主義」のコメづくりをめざして - 商社マンから「百笑」へ
7ヘクタールの田んぼからスタート - 福井県初の農場生産法人第1号に
当時コメは法律の元に政府の厳しい管理化にあったが会員制取引で有機栽培米などを売る「特別栽培米」制度を利用することにした。「無給でもいいからついていく」と前職での部下が牧野を慕って会社を辞めて来た。それが、会社組織として始めるきっかけとなり、平成4年マイセンを設立。福井県内初の、農業生産法人第1号となる。7ヘクタールの田んぼでスタートし、徐々に周辺農家の田んぼの請負耕作も始めて行った。
圧力、妨害を乗り越え、独自の道へ
事業拡大をはかる
将来の事業規模拡大には、加工施設が必要だったが、牧野は当初、自前の機械は保有しても、加工施設の建設までは考えていなかった。そこで、牧野は農協へ相談に行き、「農協の下請けになるので施設を借りたい」という申し出するが、農協に断られる。「農協とは別の道を行くしかない」と、国の低金利資金を借りることに。県、市、農協などすべての申請が通り、着工へ。いよいよ起工式というときに、書類への捺印を農協が拒否したためストップがかかる。再度依頼に行ってもだめだった。牧野は自分で資金集めに走り回り、なんとか建設にこぎつける。この苦労が逆に牧野の糧となった。
大型の加工施設が完成
自社ブランド米の販売開始
1993年には太陽熱を利用した天日乾燥室と精米施設などの大型の加工施設を建設。牧野が「一生ものの施設」と呼ぶこの施設は後々、経済産業省からの視察で絶賛され、省エネ施設として認定も受ける。施設完成後は自社ブランド米の販売に本腰を入れ始める。「自ら生産したものを自らが売る」のは当然と考え、会員以外の消費者にも販売。ヤミ米農家として取り上げられたこともあったが、「消費者により質の高い商品を提供したい」ただ、その一心からだった。味には厳しいと言われる外食産業との直取引も行いながら、事業拡大をはかっていく。
2002年、創立10周年を迎える
わずか7ヘクタールだった田んぼは100ヘクタールに拡大。土づくりから一貫して「安全・健康・本物」をキーワードにした微生物農法、自然乾燥、といったこだわりの農法と、常に「お客様第一主義」を貫いた牧野の真摯な姿勢が実を結んだ。 マイセンは2002年創立10周年を迎えた。



























